見事な托卵!豊臣秀吉の側室茶々は浮気女だった?
織田信長の姪っ子で、豊臣秀吉の側室だった茶々。
かなりの美人で有名だったようです。
この茶々になんと托卵疑惑が!豊臣秀吉の側室になってから托卵疑惑に至るまでの経緯について、書いていきます。
茶々が側室になったのは茶々18歳、秀吉が50歳の頃。
茶々は若く美人で、わざわざ秀吉の側室に納まる理由はありません。
ましてや、実父・実母・義父を殺した秀吉の元へ側室へ行くなんて、心情的にも辛かったのではないでしょうか。(しかも猿みたいな顔のジジイ)
秀吉は茶々にかなり固執していたようです。一説では、信長の妹であるお市が振り向いてくれなくて、娘である茶々を自分のものにしようとしたという説や、信長への憧れから信長と血のつながりがある茶々を自分のものにしたい説があります。
どちらにしても、茶々は秀吉の側室になる他なかったようです。
茶々が側室に加わり、子供を授かりました。
側室が子を授かるのは至って普通の話ではありますが、実は秀吉には種無し疑惑があったんですね。
当時、秀吉の側室や妾は2000人ほどいたのではないかと言われていました。
その中の誰一人も妊娠しなかったことで、秀吉は種が無いと憶測されています。
ですが、そんな中なぜか妊娠した茶々。
秀吉は自分の子供だと信じて、大事に育てていたようですが、茶々の家臣であった大野治長との子供ではないか噂されています。
秀吉ほどの女好きで、茶々だけしか妊娠しなかったというのも不思議な話です。
真偽のほどは不明ですが、托卵の可能性が高いように思いますね。
現代でも托卵女性が増えているといわれています。
知らず知らずのうちに、見知らぬ人の子供を托卵されて育てさせられてたなんて考えると恐ろしいですね…。