戦国時代にも浮気っていう概念はあったの?側室と妾、浮気の違い
戦国時代では正室・側室という制度があるのは知っていましたが、妾(愛人)と浮気などがあったというのを知りました。
側室があるのに何故、愛人がいるのか?側室が認められているのに浮気という概念がなぜあるのか?という事を解説していきます(○・∀・)ノ
戦国時代では側室はそう簡単に作れるものではなかった
戦国時代のイメージは、戦国武将はみんな側室がいて当たり前だと思っていましたが、実は戦国時代で側室をもてたのは一部の武将だけだったようです。
側室を持つには莫大な財力が必要でした。ですので、織田信長や豊臣秀吉のような大物武将には側室がいましたが、直江兼続や柴田勝家など名の知れた武将でも側室は持っていなかったようです。
一般市民はもちろん武将でも一夫一妻制のほうが当たり前でした。
側室以外と肉体関係を持っていたら浮気になる
戦国時代で側室をもつには大変でしたので、こっそり女中などと関係を持つ武将がたくさんいました。これは浮気とみなされていました。
また、側室という形で公にはせず愛人を作っていた場合は多くあったようです。
戦国時代の結婚は、恋愛結婚ではなく政略結婚がほとんどでした。浮気に関しては、家柄でどちらが上かで許されない場合と許されていた場合があったみたいですね。
たとえば妻の方が立場が強い場合は浮気がバレたら大変だったようです。酷いとボコボコ、もっと酷いと命の危険まであったとのこと。
あの徳川家康の三男・徳川秀忠は織田信長の姪っ子である江与と結婚しましたが、浮気相手を妊娠させてしまいバレたら江与に撲殺されると思った秀忠は、浮気がバレないよう身重の浮気相手を追い出したそうです。
浮気についての概念は、現代とはあまり変わらなかったみたいですね。
浮気をして妻をないがしろにしたら家臣からの信頼もなくす
上記で戦国時代では、政略結婚がほとんどだと書きました。
家同士の繋がりを強くするために結婚をしていたので、妻をないがしろにして浮気をするような夫は家臣からは良く思われなかったようです。
例え、側室がいたとしても正妻が一番というスタンスは絶対だったので、政略結婚と言えども夫婦でお互いを尊重していたんですね。
また、側室をとるのには正室が認めないと側室を持てないという事があったようです。
以上が、戦国時代の側室と浮気についてでした。
一夫多妻制は男のロマン、戦国は男にとって天国だなんて思っていましたが、そう簡単に好き勝手はできなかったのが実際のところです。